モーツァルトはどう弾くの?2

Violin

 

 

新しいブログで、俄然書きたいことが湧きでてきているユリカ先生です。こんなことも知らなかったのか?と思われることも覚悟で、みんなと知った喜びを共有できればと思い書きたいと思います。前回に引き続き『音楽は対話する』の中より「モーツァルトの演奏解釈の指示」より

「18世紀において、〜どのようなアーティキュレーションを施すかという事柄は、原則として演奏家にまかされていた。」p.162

辻註釈:以前ピリオド楽器のプロの演奏家の方にレッスンを受けた時に、この時代は合奏で弓合わせをしなくても(どこをダウンにするかアップにするかなど)昔は自然に合ったと言われている。というお話をしていただいたことがあります。つまり、このフレーズはこう弾くものという演奏習慣の規範や伝統というものが明らかにあり、それとは別のことをして欲しいところだけが、アティキュレーションが書かれていたということですね。よくオーケストラで、弓のダウンやアップを合わせて、もう音楽を合わせてしまった気になっていることがありますが、それは逆で、音楽を合わせていったら弓も合っちゃったね。というのが真実だと思います。では、書かれていないところの、いわゆる規範や伝統というものを勉強しなければいけないということになりますよね。さあ、どんどん読み進めてみましょう。

 

「モーツアルトの時代には、不協和音とその解決音にスラーをつける必要はなかった」p.162

 

辻註釈:これはスラーを書く必要がなかったということです。非和声音の音は、小さい音符で書くという時代でしたので、ぶつかった音から解決するときには、演奏家はスラーなど記入されてなくても、この2つの音はセットに決まっているんだからワンボウで弾けよということだったんですね。小さい音符で書かれていない箇所も同じように、スラーがついてなくてもつけるべきだったそうです。「幾世代に渡る常識」という言葉で表現されていて、ちょっと感動しました。ヨーロッパの伝統文化なんですね。日本人は勉強させてもらわなければ、知るよしもないことなのです。

 

「スラーをボウイングではなく強勢を示すための記号として理解すると、〜際立ったリズムの箇所がみえてくる」p.163

上記の不協和音とその解決音にはスラーがついていなくてもつけるべきという常識のほかに、フレーズの骨格が分かるようにスラーをつけていた。なぜならスラーの始まりというのは強勢だったから。ということの説明です。皆さんも大好きなハフナーのフィナーレを例に説明されています。もし、お手持ちの方は開けてみてください。9小節以降、階名唱するところの「ドシドシドソミソ  ファミファレ  シラシソ」というフレーズがあるんですが、結局は音楽として言いたいことは「ドードー ドソミソ  ファーッレ シーッソ」なわけです。そしたら、ドシドシにスラーを2つずつ、ファミファにスラー、シラシにスラーということになるんですね。私がみたスコアーには確かに、スラーはどこにもついていませんでした。作曲家に忠実にと思うあまりに、書いてあるとおりにスラーを付けないで弾くと、結局は忠実じゃないことになってしまうんですね。わあ、怖い!怖くて弾けなくなりそうです。(笑)

 

ということで、このシリーズは続きます。同じシリーズには同じ写真を使ってまとめて読みたい人にわかりやすいようにしておきますね。続きをお楽しみに〜。

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