音楽を仕事にする〜私の場合〜

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今日はうちのお教室の看板の写真でも。イタリアのタイル職人さんにお願いした看板です。結構気に入ってます。大塚駅から歩いてくると割りと気がつくんですが、巣鴨駅から歩いてくるとついつい見逃して、初めての方はよく「迷子になりました」ってお電話くださったりします。ちょっと勇気がなくて、真正面につけてなくて、柱の側面に飾ってしまった私の遠慮がちな性格のなせる技です。(笑)すみません。

最初にこの仕事をしたのは18歳の頃。姉がピアノを教えに行っていたご家庭を、そのまま姉から引き継ぎアルバイト。友達に「アルバイトでピアノ教えてるんだ。」って言ったら、「バイオリンを教えてほしいって人がいるんだけど」って言われて、光が丘の団地に教えに行ったのが、始まりです。なのでもう30年この仕事していることになります。現在は生徒の家に出向いての「出張レッスン」はやってないのですが、自宅でこのかわいい看板と一緒にがんばっています。

30年やって、一度もこの仕事を辞めたいと思ったことはないですし、この仕事で恥ずかしいと思ったこともありません。教えてる仕事は、演奏家になれなかった人が、「嫌々ながら、残念な気持ちでやる仕事」 というイメージもあるみたいですが、私の中では、演奏することと教えることは別のスキルだと思っているので、残念な仕事ではないんです。もちろん、自分の模範演奏も大事だと思っているので、レッスンには行きますし、練習もします。何よりやっぱり自分のためにバイオリンを弾いている時間は宝物です。

昔行ったバイオリンの指導セミナーで、このセミナーを受講しての感想をどうぞと水を向けられて、音大卒業したての若い先生が「演奏はずっとやっていきたいです。演奏できないで教えてるだけなんて、信じられない。」という主旨のコメントをなさってて、「私教えてるだけだけど、私の生き方は信じられない生き方なのね。」と一人で苦笑いしてしまいました。若い時は、華やかな場所にずっといたいという気持ちも、なんとなくわかります。

田舎で私大4年制に女の子が行くというのは、その当時割りと特別なことでした。もちろん、今はそんなことはないと思います。当時父は「だから女の子にも学費はちゃんとかけたい」と言っていました。勉強したからには「仙人じゃないんだから、霞を食っては生きてはいけないんだから」というのも、口癖でした。どんなことでもいいから働きなさい。と言われて、大学卒業したら、一切仕送りはなくなりました。あの時は、なんて非情な親だと思いましたが、あれがなかったら本気で働こうって思わなかっただろうなと、今になってはもう感謝しかないです。

本気で働こうと思った時に、私がまず思ったことは、「一生このまま誰もお嫁にもらってくれないかもしれないんだから、一生やってもいいと思えることを仕事にしよう」と思いました。これ大事ですよね。ものすごく見栄を張って、無理しないと出来ないことが仕事だったら、一生続かないだろうと。自分が一番得意なことを仕事にしようと思ったら、私は迷わずこの仕事でした。そして、たまたまそれはニーズがあることで、あまり人がやってないこと=教える仕事 だったというわけです。あんまり自分が労力をかけてないのに、人から感謝されることがあれば、それは仕事として向いていることだって、誰かのブログに書いてあって、本当にそうだなと思ったのですが、まさしく私にとっては教える仕事がそうでした。

2番めに見つけた仕事は、音楽教室の講師だったのですが、これも以前に男性講師がやっていて、演奏の仕事が忙しくて毎週来れなくなったからということで、あとを引き継いだのですが、口々に「ものすごくわかりやすい!前の先生と比べて悪いけど、何をどうすれば上手に弾けるようになるのか、ものすごくよく分かる」という感想を、全員からもらい、私は「へ?」きょとんって感じでした。何にも努力しなくてもほめられることってあるんだなあって。きっとその以前の先生は演奏が向いていて、私は教えることが向いていたというだけで、どちらかが仕事に対して不誠実だったってことではないと思うのです。もし私が演奏の仕事を、自分の実力に目を瞑って選んでいたら、きっと何だあの演奏はということで、クレームが来ていたでしょうから、人生の選択って大事なんだなと思います。

人と比べて一番できるから仕事にしようとか、専攻にしようと、もし若い頃の私が思っていたら、たぶん音大には行かなかったと思います。高校生の時は私よりバイオリン上手な人が同じ門下生でいましたし(その人は桐朋の作曲科に行きました)両親も、まったく他人と比較して私を評価することもありませんでした。「この子にとって、一番の人生は何か」をいつも考えてくれていたと思います。発表会では、いつもどこかしらつまずいて空白を作る、しょうもない演奏をする私でした。地元のバイオリンの先生も「本当に音大行くのかな?しかもバイオリンで?」って驚いていたのがわかりました。確かに。逆の立場だったら、私もそう思います。(笑)父だけは、私の能力の中で一番できることは「バイオリンで音楽」だと思ってくれていたと思います。

教える仕事も、昨今ではかなり市民権を得てきたと思います。子どもや大人の習い事としても、確立されてきましたよね。音大出たからといって、全員が演奏家になる必要はないし、こうやって時代とともに、新しい仕事も生まれてきます。私の人生後半戦の仕事は、この仕事を引き継いでくれる後継者を探さないと。そして、音楽の実力もバイオリンの実力も、自分以上の生徒を育てないと。これが私の50代のテーマだなと思っているところです。

 


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