ブログ記事 「バイオリンを始めたら」への返信

昨日「バイオリンを始めたら」という記事を書いたら、そのブログを読んでということで、とても興味深いメールを生徒さんにいただきました。バイオリンが弾けるということに対して、どこまでアマチュアの演奏家が期待をしているのか、何をもってバイオリンが弾けることだと思っているのか、そういう期待内容がレッスンの過程で変わっていく様が、ものすごく分かりやすくまとめられていました。ご本人に承諾を得ることができましたので、皆様にもシェアさせていただこうと思います。

その生徒さんは、バイオリンを習い始めたのが45歳。その時は、ご自宅近くのお教室に通われていました。そこで先生とのご都合と合わなくなり、しばし中断。その後私のブログを見つけられて、数年に渡り読者でいらしたそうです。そして、3年前に私の教室で再開なさったという経歴の持ち主でいらっしゃいます。生徒さんからのメールを引用、要約しながらまとめてみたいと思います。

はじめたばかりの頃:漠然とバイオリンを弾きたいということでスタート。「音楽をやりたい。」とか「バッハを弾きたい」などという理由よりも、ただ漠然と「バイオリンを弾きたい」だけでした。テレビなどでバイオリンを弾く姿を見ていたので、それに憧れていただけでした。

レッスンが進んでくるとできることも増えます。:その後レッスンを重ねるにつれて音程がとれるようになってくると、「それなりに弾ける。」と自己満足の度合いがあがる。でもこの時点でも「音楽をやりたい。」とか「クライスラーを弾きたい」などとは思っていません。「人に聴かせる」などという概念は皆無です。なので「バイオリンを弾きたい」という目標からは大満足なのです。以前からピアノを少し弾けて、かつ音楽も聴いていたので、「音程」についてはかなり気になりますが、フレージングなどはあまり気にしていませんでした。ユリカバイオリンにお世話になるようになる前までは「バイオリンを弾くこと」についてそんなに真剣に考えることなく、だらだらと適当に弾いて自己満足をしていたように思います。

バイオリン再開:

ユリカバイオリンにお世話になるようになって、「音の出し方」「左手のフォーム」「弓の使い方」などを理屈で教えていただきました。確かに教えていただいたように弾くと「いい音」になるし「音程もよくなる」のは間違いありません。でも、それはそのまま「音楽をする。」というところには繋がりません。依然として私の中には「自分でバイオリンを弾く」という事実のみが大切であって「いい音楽をする。」という考えには、まったく至りませんでした。ただレッスンをしていただいているはしばしにユリカ先生が今から振り返ると「音楽をどう作ろうとしているのか。」という問いかけをいつもしていただいていたように思います。この問いかけに対して真摯に回答できていなかったことを本当に申し訳なく思います。

一つの転機が訪れます。声に出して歌えと言われて。:

お伺いするようになって間もない頃のことですが、ヘンデルのソナタを見ていただいているときに、「声に出して歌ってください。」と言われ歌ったときに「本当にそう思っているんだ。。。」と絶句されたことがあります。私はそのとき大変なショックを受けたのですが、今になって振り返ってみるとこのあたりが転機だったと思います。「歌ってください。」と言われたとき、私は「音楽を歌う」のではなくて「バイオリンをどう弾くか。」ということを声にだすのだ、と思いました。その問いかけが「どう音楽を奏でようと思っている」のか確認するため、だとは思っていませんでした。つまり私の中には「バイオリンを弾くためには自分の中に音楽があってそれをバイオリンという楽器で表現する。」という今となっては当たり前のことがまったく理解できていませんでした。

生徒さんの葛藤。私から公開レッスンに行かれてみては?とオススメしてみました:それ以降「音楽をする」というのはどういうことなのだろう。。といろいろ考えました。この年齢になってプロの演奏家になるわけではなく、かと言って「私のバイオリンの音楽を聴いてください。」と友達たちにアピールしたいわけでもなく、いったい何のために音楽をするのだろう、というところがなかなか整理できませんでした。その一つのヒントがカヤレイ先生がレッスン中に発した「作曲家に対する尊敬の気持ち」という言葉です。このような美しいメロディ、このような美しい和声を創造した作曲家に対する気持ちと置き換えたらとてもうまく整理ができました。ということは、逆に考えると「どうしてこのように美しく聴こえるのか。」ということを解き明かし、その意図が現れるように演奏することが「音楽をする」ということの一つの意義なのかな、と考えるようにしたらとても納得できました。

もう一つのきっかけアンサンブルレッスンも始まりました。:もうひとつキッカケになったのが、「アンサンブル」です。この作曲家の意図をどう汲んで、それをどのように弾いて曲として作っていくか、ということを考えたときに、各自でその意識がないとアンサンブルができない、ということが明確になってきました。楽曲をどう解釈して、それをどう表現するか、というところに視点をあてると自分の中でうまく整理ができます。

このメールをいただいて、私も色々考えさせられました。自分はずっと音楽と人生を共にしているので、音楽は作曲家に敬意を払って、どの曲にもそれぞれの魅力があるんだから、その魅力を表現するのが演奏する側の責任だと、当たり前のように思っていましたが、当たり前じゃないところから始まるんですよね。最初は、わあ、バイオリンが弾けて楽しい。から始まるんだなと思いました。このメールの最後に、でもその意識改革も先生と生徒が健全な関係を保てているからこそなのだという事が書いてあり、ああ、そうか。とこれまた、色々考えさせられました。

バイオリンの先生に求めるものですが、私はユリカ先生に出会えたことを一生の宝だと思っています。「何でもいいからこの人についていったら。。。」という人になかなか出会わず、本が師匠だったのですが、初めて「心から崇拝できる方」にお会いできたと思っています。何が素敵かといいますと、ユリカ先生の問いかけに対して私から予期もしない回答が返ってきてもそれを正面から受け取っていただいています。(一瞬「えっ!!」という顔をしますが。)私の「発言の内容」を理解する前提に「私という人間」を尊重していただいています。

これ読んだ時、えええ。ってすごい焦りました。私「えっ?」って顔してるんですね。(笑)本当に申し訳ないです!でも、なんか熱烈なファンレターをいただいた気分で、うれしかったです。まあ、こんな教師ではありますが、これからも生徒さん方と末永く音楽をしていけたらうれしいです。

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