『古楽再入門』寺西肇著

古楽再入門

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最近この本にはまって、読んでいます。まだ読み終わってないのですが、今佳境に入ったところです。思わずツイッターとかFacebookに感動すると、いちいち書き込みをしてしまうのが私の悪い癖なのですが、今回も途中なのについつい書き込んでいます。

で、先日Facebook(ここ)に書いたのですが、そのあとも色々考えてみました。まあ、私の世代は拍節感とかコード感とか、日本人が足りないと言われているものが足りないとしても仕方がないというか(笑)なにせ、教えてもらったのが昭和一桁生まれの父や父の同窓生からです。ピアノやバイオリン教えられただけすごいって時代です。もちろん、今後努力もしますし、今でもレッスンに行って勉強もしています。特にバロックバイオリンを始めてから、拍節感とか音楽が動いていく感じなどは、本当に自分の演奏に今まで足りなかったものだと自覚できたと思っています。自分の今後に期待しています。

でも、今の若い人演奏家さんたちは、もう私より20年くらい時代が進んでいるんですよね。街の音楽教室のレベルって相当上がっているのではと思います。リトミックとか音聞いて動いてみるとか、そういうのがものすごく流行になったし、今も盛んですが、そういう経験がある演奏家でも、拍節感のないのっぺらぼうの演奏なのかな?もし、そうだとしたらそれはなぜだろう?留学から帰って来てもそうだという記述がみられるのですが、もしかしたら、そういうものを学ぶのにいい時期っていうのがあって、それはもしかしたら小さいうちなんじゃないのかな?

で、これは単なる私の勝手な推理と憶測なんですが、ものすごく一見器用で才能のある様に見える子どもは、どんどん難しい曲を弾いて、指が回るようになって、今さら拍節感とかコード感とか、そんなものは忘れさって、というか、学ぶ機会を逸して、もちろんそういう器用な子が、リトミックのような一見お遊びに見えるようなことはしなくて、日本人演奏家は何か大事なものが足りないとか言われてる事態に陥ってるのかな?とか、ずっと一人で昨夜から考えています。まあ、こんなひとりごとをブログにつぶやいても何なんですが。まあ、要するに何を言いたいかというと、幼少期に習った先生の実力が、その後見えないところ大きく響くってことだとしたら、本当に一大事!私は本当に頑張らないと。と思った次第です。

頑張る方向は、「授業のアイデア」的なことじゃなくて、自分の音楽の実力とか、その生徒の演奏で何が足りてないのか、もっとどう育てれば、将来いい演奏ができるプロに育つのかがわかる教師の実力とか、もしくは生徒が愛好家として生きていくにしても、どんな耳をもたせればいいのか、一生本当の意味で楽しく音楽と生きていくには、どんなことを身につけさせればいいのかを知っている教師にならないといけないのかもしれません。

自分の経験からしても、音大まで受かっておいて、今さら基礎的な事柄を一緒に見なおしてくれる先生って少ないかもしれないですよね。それこそ、スケートの浅田真央選手の先生は、オリンピックメダリストにさえ基礎から見直しをさせたと聞いていますが、なんか大事なことが足りないまま音大4年間過ごして、上手くならなかったなあなんてことも、きっとあるんだろうな。私は基礎がないどころか、音大の最初のレッスンはエックレスのソナタとクロイツエル教本でしたからね。あははは。って感じです。でも、それがかえってよかったのかもしれません。先生と一緒に本当に基礎からがんばりました。基礎さえできていなかったので(笑)先生の根気強いご指導で、4年間ぶっちきりで上手くなりましたよ。何の自慢にもなりませんけど。

そう思うと、やっぱり最初についた先生ってすごく大事なんじゃないでしょうか。まだ音の数も少なくて、シンプルな曲をやっているその頃に、どんな基礎を叩きこまれたかって、大きいんでしょうね。いやあ、身が引き締まる思いです。

また、この本を読んでる途中コメントを、ツイッターやFacebookで色々残していく予定です。お楽しみに〜。

 


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